純粋倫理の研究ならびに
倫理文化に関する
専門研究の成果を
広く公開・発信するために、
毎年「倫理研究フォーラム」を開催し、
発表しています。
同フォーラムでは、研究発表に続いて
研究者によるパネルトークを行ない、
発表内容について考察しながら、
分りやすく解説しています。
倫理研究フォーラム(テーマ:あらためて、「正しさ」と向き合う)を沖縄、福岡、東京の3か所で開催しました。日時、会場、来場者数はそれぞれ、2026年2月11日(水)アイム・ユニバース てだこホール(425名)、2026年4月5日(日)JR九州ホール(264名)、2026年4月12日(日)都市センターホテル(337名)。
はじめに、倫理文化研究センターの内田智士次長が登壇し、本フォーラムの趣旨とテーマの背景について説明しました。同じ図でありながら見方によって異なる見え方をする「多義図形」を示し、私たちの認識が必ずしも一つに定まるものではないことを紹介しました。そして、このような見え方の違いは視覚上の現象だけでなく、日常生活における判断や価値観にも見られるものであり、「正しさ」についても同様であると指摘しました。「人はそれぞれ異なる立場や経験、思いをもとに正しさを捉えており、ときとして自分の正しさと他者から見た正しさが食い違うことがある。本フォーラムでは、正しさとは何かを多角的に見つめ直し、一人ひとりが自らの生き方の軸を考える契機としたい」と述べ、第一部の研究発表へとつなげました。

第一部では、水野雄司専門研究員、平良直専門研究員がそれぞれ研究発表を行いました。水野専門研究員の発表テーマは「真心とは―二つのマコトから」です。発表では、漢字の「誠」と、大和言葉としての「まこと」という二つの「マコト」を手がかりに、「真心」という言葉の内実が多角的に掘り下げられました。前者については、儒教思想における「誠」の意味を踏まえ、人が私欲を消し、普遍的な正しさに即して生きようとするあり方が論じられました。後者については、本居宣長の議論を参照しながら、社会的な価値判断に先立つ、生まれたままの自然な心としての「まこと」が紹介されました。そのうえで、真心とは、既存の価値観を尊重しつつも、それに安易に従うだけでなく、自らの感覚や違和感にも真摯に向き合うところに成り立つのではないかと提起しました。日常的に用いられる「真心」という言葉を、思想史的背景を踏まえて捉え直す発表となりました。
続いて平良専門研究員が登壇し、「正しさはどこから来るのか」と題して発表を行いました。平良専門研究員は、沖縄の宗教的伝統の研究をもとに、共同体における「正しさ」の基準がどのように形づくられてきたのかを考察しました。沖縄では、御嶽が村落空間の中心として位置づけられ、そこを起点として人々の暮らしや祈りの秩序が広がってきたこと、また神歌においては、神々の行為が人間の営みの原型として語られ、労働や生活のあり方に意味を与えてきたことが紹介されました。そのうえで、かつての社会では、正しさとは聖なるものに由来する模範に自らを重ねることによって支えられていたこと、現代社会ではそうした原点が見えにくくなっていることが指摘されました。さらに、諸文化に広く見られる正しさの「黄金律」にも触れながら、正しさは抽象的な理屈だけでなく、思いやりやいたわりといった日々の具体的な行為のなかに現れるものであることが示されました。
第二部では、内田次長、平良専門研究員、水野専門研究員によるパネルトークが行われました。第一部の発表内容を踏まえ、「正しさ」とは何か、またそれを私たちはどのように受け止め、実践すべきかについて議論が深められました。トークではまず、人間が周囲の状況や思い込みに影響され、不確かなまま自らの「正しさ」を信じ込んでしまうことがある、という点が示されました。そのうえで、自分の考えに執着しすぎず、心に余裕を持つことが、新たな気づきにつながるのではないかという問題提起がなされました。続いて、道徳教育の現場では特定の心情を教え込むのではなく、社会の中で求められる態度を扱っていることが紹介されました。さらに、近代以降の倫理が理屈に偏りがちであることを踏まえつつ、古来の人々が神聖なものや思いやりを基準としてきたことの意味があらためて示されました。また、相手を正そうとする行為が、ときに「正しさ」の押し付けへと変わってしまう危うさについても指摘がなされました。最後に、正しさとは単なる理屈や自己主張ではなく、相手への思いやりや自分自身への省察を含んだものであると結び、日々の生活の中で自らの「正しさ」を問い直していくことの大切さが会場へ投げかけられて終了しました。